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昨夜、お得意先と世間話をしていて、「多層人格」という言葉を思いついた。すでに、どこかにある言葉なのかもしれない。備忘録。
自分が仕事で講演しているときのビデオをたまたま家族が見る機会があって、そのとき、いつもと違う父親の姿にかなり違和感を覚えたらしい。また反対に、休みの日に家でいつもごろごろしていて、娘に蹴られながらすごしているなんていう話を会社ですると、同僚からは、想像がつかないといわれる。母親が生きていたときは、いつまでたっても自分は母親の「こども」であって、最後まで頭を叩かれてしかられていた。ネットに向かっているときには、父親でもない、社員でもない夫でもない「自分」がいるような気がする。
人格というのはまわりの人との関係性の中で作られる部分も大きいのだろうから、どんな人も複数の人格を持っているのはあたりまえなのかもしれない。複数の人格が独立して存在していて、それをコントロールできる「自分」というのを失った状態の多重人格というのとは違う、ごく普通のあり方だ。
会社で何度か性格診断のようなテストをうけたことがある。500問ぐらいの質問に答えていくのだが、似たような質問が何度も出てくるのに、違った回答をしてしまう。人格は多層化しているんだと考えると、いろんな答え方をすることも説明がつくかもしれない。
投稿者 icydog : January 22, 2004 06:30 PM | トラックバックなんだかわかるような気がします。僕の感覚としては複数の人格が自分の中にいてそれが多層化して存在しているというよりはむしろ、そもそも自己なんてものは得体の知れないムニュムニュあるいはユルユルとしたものであって、それがある場面では四角に、ある場面では三角に、ある人と対するときには丸に、ある人の前では五角形に、その場その場で、ある様相をもってあらわれる、みたいな感じですかねえ。もっとも、根っこにはある傾向を持った「気質」みたいなものはあるのでしょうが。
Posted by: じじーどる : January 23, 2004 06:48 PMって、投稿してみて思いましたが、これって単なる自分の軸のなさの言い訳みたいにきこえちゃいますか(笑)。
Posted by: じじーどる : January 23, 2004 06:49 PMそうなんですよ。昨日ものすごく我の強い人と話していて、この人は一層しかもっていないかも・・・なんて考えていました。単に自分が回りにあわせる傾向が強いってことか?ってね。
Posted by: icydog : January 23, 2004 08:56 PMはじめまして。
いろいろな局面で人格がちょっと違うっていうのはある意味当然なのかもしれないって思っています。
人格の元の言葉はPersona(ペルソナ)です。もともとの意味はギリシャ・ローマの劇でつける仮面のことですから、それぞれの場面で仮面をつけているというのは言いえて妙なのではと思っています。
リトルスターさん、はじめまして。
うーん、説得力ありますねえ。この最後の締めがついたおかげで、この話は、他でつかえそうです。