知人が前作のヒット作に続く第二弾「ラー油とハイボール」を出版した。食や飲食店をベースにしているものの、基本的に広くマーケティングの戦略的視座について身近な事例を通してめちゃくちゃわかりやすく書かれている。企画する人からも、お客の立場からも、どちらからもマーケティングを楽しむことができるように意識して書かれているんじゃないかと思う。
あけまして、おめでとうございます。
年末年始はすっかりSACD漬け。
□ ノラ・ジョーンズ 「Come Away with Me」
すでにウォークマンにデータ所有していたものだけれど、SACDも買ってみた。声のかすれ方がかなりリアル。
倍音の聞こえやすいであろうギターソロのSACDを探してたどり着いた木村大。超絶的なテクニックもすごいが、やっぱりこれも弦のハジける音、倍音の響く残響音が実にいい。
ジェイミー・カラムの「キャッチング・テイルズ」はヘビーローテーションの一枚。「Twentysomething」がSACDで出ていた。都会的な声が何度聞いてもカッコいい。
細く、透明感のある声、アナ・カラム。アコースティックなボサノバもSACDに向いている。
シカゴ交響楽団の1957年の録音。生まれる前のものだよ。こういう50年以上前の演奏を甦させる技術ってのは夢がある。
□ 「Concord jazz Super Audio CD Sampler 1」
SACDのよさを伝えるために作られたサンプラーだと思われるので買ってみた一枚。いろんなタイプのジャズ演奏が集められていて、効果を体感するためによくできている。
もう何年も前のこと、仕事でいっしょになった方が山崎豊子さんから1972年の「西山事件」の取材を受けていて、そしてそれが次の小説のための情報収集なのだと伺った。その事件のことをまったく知らなかったので、その方から詳しく教えてもらうこととなった。外務省の機密情報の扱いをめぐる新聞記者と国家権力との司法闘争&情報戦争の話で、門前仲町の居酒屋で聞くにはあまりにすごい出来事。話をしてくれた方も「これがどんな小説に仕立て上げられるのか、どこまでつっこんで書けるのか」とおっしゃっていた。自分も出版されたらぜひ読んでみようと楽しみにしていたが、あれからかなり時間が経ち、もうすっかり忘れてしまっていた。 これもまた「太陽の沈まぬ日々」で知ったのだけれど、この西山事件を取り上げた小説が、「運命の人」というタイトルで発売されていた。
山崎豊子さん独特のノンフィクション的フィクション。徹底的に事実を取材して小説スタイルで再構築されている。第四巻末に添えられた取材協力者、参考資料一覧を見るだけで、その半端ない膨大な情報収集にただただ圧倒される。新聞社を背負って立つ政治部の花形記者と国家権力の壮絶な戦いを描いた1-3巻にどっぷりひきこまれるが、小説全体からみるとそれはまだまだプロローグ。第4巻がいい。自分が歳とったせいか、失意の中で時間をかけて自分のアイデンティティを取り戻していく姿に感動してしまった。「生きていればこそ」。
「太陽の沈まぬ日々」の考察が興味深くて、全巻衝動買いしてしまった「へうげもの」(ヒョウゲモノと発音)。おもしろい。積み上げられたコミック本を見て、息子も娘も「これが大人買いってやつか」と同じ感想をもらし、さらにちょっとそこには咎めるようなニュアンスも含まれていた。別にいーじゃないか。
「へうげもの」は古田織部(ふるたおりべ)にスポットをあてて描かれた戦国時代コミック。焼き物の織部は誰もが知るところだろうけれど、武将としての存在はまったく知らぬところ。「太陽の沈まぬ日々」の考察でひきつけられたのは、政治の支配者が、世の中の美意識もコントロールする必要があったのではないかという視点。ハッとさせられた。政治は力とルールで秩序を作っていくものだとすれば、美の価値観というのは人のこころを捉えてそれを共有するもの同志の結びつきを強くしていくもの。利休や織部のような茶人が自分のオリジナルな美の探求にとどまらず、その作り上げた美の価値観が多くの人のこころをひきつける力を持っていたために、時の支配者にうまく利用されたり、時には政治的秩序を壊すものとして疎んじられたりしたのかもしれない。第九巻も予約しなきゃ。
先週末はマスクだらけだった電車内も、今日はすっかり姿を消してしまった。ちょっとテレビの情報に振り回されすぎじゃないのか?今頃マスクの量産体制に踏み切ったメーカーは、とんでもない在庫を抱えてしまうのじゃないかと心配する。それとも冬に向けて敢えて大量の在庫を積んどくのもいいのかも。
先週、知人が新書を出版した。『「お通し」はなぜ必ず出るのか?』というタイトルがつけられているけれど、中身は飲食業のマーケティングについてわかりやすく、しっかりと書かれた本だ。儲けるための手練手管についてというより、「いいお店」を長く続けて、じっくり成長させていくという強い信念が伝わってきて、店に宿す魂みたいなものの大事さに共感する。また、ここに書かれているマーケティングのスタンスには、飲食業だけではなく、優れたマーケターたちが共通で身につけている、ある視点を感じる。それは自分なりに書くとすれば、結局、人は何を感じ取って、何に心動かされるのかというところから目をそらさない力ともいえる。
「アメリカにいる、きみ(You, In America)」はチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの日本で初めて紹介される短編集。ナイジェリア生まれのイボ民族出身で、ナイジェリア大学で医学を学んだあと、渡米し、コミュニケーション学と政治学を学ぶという異色の経歴。また非常に若く、30歳。心の機微の表現に強い個性があって、何気ない日常も凄惨な内紛も、繊細な感性で受け留められ、アートな言葉に置き換えられていく。どの作品からも強いインパクトを受けたけれど、暖かい気持ちに包まれる。これからもすごく愉しみ。
同僚に勧められた「おとなの味(平松洋子著)」を読んでみた。たくさんの"味の話"が詰まったエッセイ集。舌の上で楽しむ味ばかりでなく、長い時間かけてからだ全体で感じ取る味わいに気づかせてくれる。奢った味、泣ける味、ぼんやりした味、ひとりの味、雨の味、待つ味、匂いの味、暮れの味...
感じ取る力が磨かれていないと愉しめない味の話ばかりで、そういう意味で大人にしかわかりえない味ともいえる。きわめて個人的な体験が凝縮された記憶のトリガーとしての味の話であっても、どこか共振してしまう。また反対に、未熟さゆえかまったく理解できない味もある。
先週、会社の先輩に西小山のソウルバーなるところに連れて行っていただいた。カウンターの向こうにターンテーブルが並び、さらにその向こうの壁にびっしりとレコードが並べられている。驚きなのは、マスターの検索能力。レコードのメタデータはもちろん、各曲のエピソードまで記憶されていて、客との会話の中から次々とレコードを取り出しては流していく。昔の音楽にはその当時の想い出も染み付いているものだから、あっという間に懐かしい気持ちに包み込まれていった。いいもんだね、こういうお酒の楽しみ方も。
そんな中でも、特に心揺さぶられた3枚をAMAZONで注文。あまりねっとりしていないさわやかなスティーヴィーワンダーってのもいいね。
□ Middle Man 学生時代のヘビーローテーション
□ A Cappela 心洗われるハーモニー
pataさんの記事に刺激され、村上春樹の翻訳本を二冊読んだ。
いずれも村上春樹氏が強い影響を受けた本で、多くの経験を重ねた上で、特別な思いを持って翻訳に取り組んだ作品。一冊はスコット・フィッツジェラルド「グレート・ギャッツビー」で、作品の語り手となっている主人公と世の中の距離のとり方が、村上作品のものと似ている感じがした。そしてもう一冊がレイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」で、こちらは純粋にものすごくおもしろかった。あまりにおもしろくて、この分厚さが喜びにすら感じた。シニカルでインパクトのあるせりふに虜になるぐらい、文章のうまさにただただ驚かされる。
遅ればせながら、村上春樹の長編小説を続けて読んでみた。20年前に当時流行っていた「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んで以来だ。いつか読もう読もうと思ってうちに、あっという間に時間が経つものだなあとあらためて驚いたのだけれど、読んでみて遅すぎたという気もしなかった。人の意識の曖昧さと、曖昧な意識のリアリティのようなものを感じさせる独特な世界観にすっかり浸りきってしまった。
【追記 06/10/19】
飛ばして読むべきではなかった。風の歌、ピンボール、羊をめぐると続けると、もっと味わい深くダンスを踊れたかもしれない。
信州から送られてきた「iCon Steve Jobs」という本を読み終えた。昨年末に出版された、アップルの創業者スティーブ・ジョブズの伝記で、自分にとっては非常に面白かった。万人に面白いかどうかわからないけれど、マッキントッシュの発売に衝撃を受け、次から次へと大枚をつぎ込んで新機種を追い求めてきたにもかかわらず、仕事上、泣く泣くウィンドウズに改宗した経験を持つ人にとっては必読の書だ。スティーブ・ジョブズの動向は断片的に見聞きしていたものの、こんな壮絶なストーリーがあったとは知らなかった。
また、クリエイティブな企業を創るということの、難しさや摩擦のエネルギーの大きさについても考えさせられた。革新的なものを生み出すだめには常識を破壊しなければいけない一方で、組織が大きくなるとルールと秩序が不可欠になる。また今までにないものに対して、莫大な投資を決断することも超難題だ。
ジョブズのような天性の非常識人のエネルギーがあったからこそ、世の中は楽しい未来を享受することができたのだろうと思うけれど、ジョブズのような非常識人が組織の中の多くの優秀な人材を焼き尽くしてきたこともまた事実だ。
そんなこんなをいろいろ考えているうちに、またすっかりMacの魅力に心揺さぶられてしまった。今、MacBook Proを買いたい衝動を抑えるのに必死だ。
「ダ・ヴィンチ・コード」の映画がまもなく封切られるが、著者ダン・ブラウンの著作を新しいもから順番に全部読んでみた。とりあげているテーマはいずれも違い、宗教象徴学、暗号学、地質学などが展開され、その博学ぶりに驚くけれど、ストーリーの構成が全て同じであることにも驚く。最初に書かれた「パズル・パレス」は米国の情報機関を舞台にしたものだが、すでにこの中に「ダ・ヴィンチ・コード」の骨格をはっきりと感じることができる。
どんな映画なのかもわからぬまま、娘に連れられて「Vフォー・ヴェンデッタ」を見に行った。凄い映画だった。そしてすごくよくできた映画だと思う。音像の効果とともに、久々に映画館というものを堪能した。原作は80年代に描かれた近未来のイギリスを舞台としたコミック本とのことだが、背景として描かれえいる情報社会における独裁と腐敗や監視社会などは、今の時代の不安にも通底しているように思える。また映像には、マトリックスは当然として、カサブランカやオペラ座の怪人、バッドマン、ブレイド、ターミネーター、17歳のカルテ、ゾロ、未来世紀ブラジル、ブレードランナー、スピード、マイノリティーレポートあたりの要素を強く感じたのは気のせいか。
LEXUS GSシリーズのテレビ広告が始まった。使われている混声コーラスの音楽が気になってしょうがない。朝霧の中に静かに鳴り響く鐘の音のような和音と歌い方。調べてみると、CLANNAD(クラナド)というバンドの 「Theme from Harry's Game(ハリーズゲームのテーマ)」という1982年の曲のようだ。イギリスのテレビドラマのテーマソングとして書き起こされ、その後クラナドの代表作となったとのこと。 クラナドのアルバムの多くに、この曲が織り込まれている。
「妖精のレジェンド」というアルバムを取り寄せてみたが、この「ハリーズゲームのテーマ」以外はほとんどアイリッシュケルト。
クラナドはアイルランドのベテランバンドでエンヤが所属していたらしい。リードボーカルはエンヤの姉のモイア・ブレナン。他のメンバーも兄や親族だそうだ。
出張に出る前、品川駅の本屋さんで「The Great Escape」さんや、「赤・黒・黄色のひとりごと」さん、「suzie」(20050822)さんが推奨していた本をみかけたので、コーヒーとこの本を買って新幹線に乗り込んだ。
リリー・フランキー著 「東京タワー -オカンとボクと、時々、オトン」。軽快な文章でときどきプッ!と吹いてしまうのだけど、これほど泣かされた本は初めてかもしれない。自分と母親の関係に重なって見えるからなのだろうけど、すばらしい本だと思う。特に、私のような、いい年のおやじはヤラれると思う。
今月の「pen(ペン)」は面白かった。タイトルはかなり恥ずかしいが、東京カタログとしての充実度はかなり秀でていると思う。penというより、同じ出版社のFIGAROの男版というノリに近いような気がする。写真もかなり力が入っている。ちょっと枯れた目線で、新旧織り交ぜた「東京」の感性を切り出しているようだ。カメラ持ってブラブラ散策する時のマニュアル本のような仕上がりにも感じる。雑誌の特集にとどまらず、この企画で世界中の都市を取り上げた出版をして欲しいものだ。
東京は、真夏日も連続40日間を越して記録更新したところで、ようやく涼しくなってくれた。風が冷たく、本当にすごしやすい。
3週に渡ってゴッドファーザー、パートII、パートIIIと立て続けに3作をDVDで観た。自分が小学生の頃の作品だから、かなり古いものになるが、もともと昔を描いた作品なので、今見ても古臭くないわけだ。血で血を洗うとんでもない題材がベースになっているにもかかわらず、夫婦、親子、兄弟、上司部下、敵味方当等、あらゆる人間関係の葛藤が描かれているので、ついつい引き込まれていく。橋田寿賀子ドラマのマフィア版かもしれない。3作まとめてDVDで9000円程度となっており、かなりお買い得。
HDDに撮り溜めてあった映画の中から、「17歳のカルテ」という映画を見た。NHKがずうっとアカデミー賞受賞作品シリーズを放映していたものの一つ。この作品ではアンジェリーナ・ジョリーが助演女優賞を受賞しているが、主演と製作総指揮を務めたウィノナ・ライダーもすばらしい。ピリピリした痩せた顔の表情にすっかり惹きこまれてしまった。
この映画を見ていると、自分の思ったことを、思ったように発言したり、行動したりすることは、「正常」な世の中においては病気とされているんだあ、という気がしてくる。自分自身を世の中の暗黙のルールの中で、強くコントロールして生活していることが「正常」ということ?
昨日「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」を銀座ピカデリー1で見てきた。まだまだ、長蛇の列で大混雑。初め気が乗らなかったのだけれど、始まってすぐに、こりゃすごい!と驚いた。アカデミー11部門制覇というのはこういうことか。久々に映画館で見るに値する映画という感じがした。
「ロード・オブ・ザ・リング」に引き続き、「ライフ・イズ・ビューティフル」のDVDを見た。実にいい映画だった。同じ戦争をテーマにしても、イタリア人が描くとこうなるものかと、文化の違いを強く感じさせられた。可笑しいんだか哀しいんだかよくわからない感情につつまれる。
私は大反対したのだけれど、家族会議で3対1で負け、「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」のDVDを見ることとなった。映像の迫力はすごいと思ったが、正直というか、予想通りというか、あまり面白くなかった。でもなんとなく、この作品を面白くないと言ってはいけない雰囲気がただよっている。見終わったとき、家族に本当に面白かったか?と聞くと、みな面白いという。
AMAZONのカスタマーレビューも確認してみた。ここでは、スペシャル・エクステンデッド・エディション(9000円)とコレクターズエディション(4700円)では意見が違うことがわかった。前者でレビューを書いている方々は、みな原作を読んでいる。原作での感動が、映画で再び呼び起こされているようだ。だから未公開カットなんかがたくさん入っていることを大歓迎している。よほど好きじゃないと、こんな高い方を買うはずがないから、評価が高くなるのも当然かもしれない。後者の方の中には、いまいちインパクトに欠けるという評価がある。わたしもそう思う。映画に期待しているものが違うのかな?
西垣通先生の本を「こころの情報学」(既出)に続いて、「デジタルナルシス」「1492年のマリア」と続けて読ませていただいた。西垣先生は情報学の先生だが、「1492年のマリア」はなんと小説である。読み進む中で、なぜ、この小説を書かれたのかがよくわからなくなっていったが、最後でようやく一貫した主張が理解でき、心打たれた。小説としてだけ読むと平凡かもしれないが、先生が情報学の中で伝えたいことを小説のスタイルをとって伝えているのだとわかると、実に深淵な熟書に見えてくる。
先日朝テレビをつけると、強烈なジャズピアノのライブの映像が飛び出してきた。途中から見たからよくわからなかったけれど、すっかり心奪われてしまった。「上原ひろみ」というピアニストで、さっそくCDを買ってみた。
ナンジャコリャ?というほどお粗末なCDジャケット。輸入版に日本語のペラ紙を巻きつけただけのふざけた装丁だ。日本で売るつもりがほとんどなかったんだろう。
演奏はエネルギッシュな感じ。映像と合わせて聞いた方がいいのかもしれない。
先日仕事の帰りに、KIOSKで朝日新聞の夕刊を買った。駅で新聞を買うことはめったにないのだけれど、なぜかその日は手が伸びた。文化欄の「共生システム」(西垣通:東京大学大学院情報学環教授)という寄稿を読み出したら、これが面白く、珍しく知的に興奮してしまった。あまりに面白かったので、ネットで西垣教授の著書を調べていたら、メールアドレスが掲載されていたので、感想を送ったところ、翌日丁寧な返信をいただき、読むべき著書の候補も挙げていただいた。しかも、手に入りにくければ、送っていただけるという。さすがにそれは辞退申し上げ、AMAZONで「こころの情報学」を購入した。
「情報学」というのはなかなかおもしろい分野だと思う。情報学というのは情報からものごとを眺めていく学問らしいが、本書は「情報から心を眺める」ことで情報化社会における心の問題をとらえることにチャレンジしたもの。人工知能の可能性から人のこころの構造を考えたり、動物のこころとの比較、人のこころ、サイバー空間のこころ、などなど、現代社会の問題を解くキー概念がいっぱいつまっているような気がした。