□ 業平橋周辺
東京スカイツリーも200m超え。どこまで近づけるのかと、錦糸町駅から北上してみたが、ほんとうに工事現場の足元まで近づくことができる。そこにはおびただしい数の人がカメラや携帯を空に向けていた。
赤坂通りにできたワインバー「KINOKUNI」でランチ。木の国酒造という梅酒メーカーの経営らしい。
[KINOKUNI (キノクニ)]
港区赤坂5-4-17 MAP
□ りんごを使った甘いカレー
錦糸町の東武ホテルレバント東京へ入るときに、右側(北側)を見てビックリ。これは、アレだよね。もう、こんなところまでできているんだぁ。この段階で162m、完成はこの四倍近くの高さ(610m)になるってことは、東京タワー(333m)の倍近い高さってこと? このあたりは高い建物がほとんどないので、ものすごい景色になるね。
私が育った北海道の旭川というところは、街のどこからでも大雪山連峰の主峰、旭岳という優美な山が見える。どこで遊んでいても、この山の位置さえ確認できれば、方向感を失わずに家に帰ってこれたものだ。そんな街で育ったものだから、東京で暮らし始めてすぐに感じた違和感は、この旭岳が見えないこと。 360°山が見えないという景色のトッカカリのなさはかなり落ち着かないものだった。
板橋の日大病院の近くの大谷口という街には通称「水道タンク」と呼ばれる強烈なランドマークがあった。「あった」というのは、これが4年前に取り壊されたから。給水塔として40年使用され、老朽化で使用中止されてから33年、合計70年以上もの間この街のシンボルとしてありつづけたのだ。この水道タンクが取り壊されるという話しを聞いて思い出したのが、先の旭岳の体験で、きっとこの大谷口に暮らす人々は、水道タンクが無くなると体調崩すんじゃないかと心配した。村上春樹風に言うと、世界のバランスが狂い始めるんじゃないかとさえ思えた。しかし、熱烈な地元の方々の要請によって、このあとに水道タンクのデザインを継承した新たな施設が作られるているというから面白い。先日近くにお住まいのkitonさんから骨組みが出来上がったというコメントをいただき、さっそくでかけてみた。
本格的にこの街のランドマークとしての役割を担う覚悟がある気配が漂ってくる。
□ 北区中央公園文化センター:戦前の陸軍東京第一造兵廠(兵器工場)本部
「栄児(ロンアール)」から加賀、石神井川沿いを歩き、滝野川を抜けて王子まで散歩。途中ただならぬ雰囲気を漂わせている北区の施設があったので、帰ってから調べてみると、戦前の陸軍東京第一造兵廠(兵器工場)本部の建物だった。ついでに調べ進めると、板橋区加賀のあたりも、江戸時代に70haを超える加賀藩の広大な下屋敷があったものが、明治政府に大半を没収され、火薬製造所が造られたのを契機に、その後この一帯は軍関連の下請け工場の集積地になっていたそうだ。あちこちに旧陸軍の遺構が残っているようなので、調べなおして後日再散策しよう。
□ 阿部のファースト姿
□ 吉村禎章コーチ
普段ほとんど野球を見ることがないので、たまに球場に行ってもあまり知った選手がいないし、リーグ戦の近況もよくわかっていない。なんで阿部はファースト守ってんだ? 選手よりもむしろコーチたちの方がなじみ深く、ちょっとふっくらしたコーチたちの後ろ姿が感慨深い。まあそれでもそのファースト阿部が初回から満塁ホームランを打ったこともあり、最後までかなりテンション高く楽しめた。
□ ゲッツ!
□ いせ源(昭和7年竣工)
「とんかつ万平」を出て右手を見ると、鳥すき焼きの「ぼたん」があった。あーそうか、こういう位置関係なのか。「ぼたん」に向かって歩き始めると、突き当たりに「やぶそば」が見える。「ぼたん」も「やぶそば」もお盆休みにメンテナンス工事。「ぼたん」から右に曲がると甘味処の「竹むら」とあんこう鍋の「いせ源」が向かい合っている。「神田まつや」を加えていずれも東京都選定歴史的建造物なのだそうだ。奇跡的に戦災を免れた一角、この味と建造物の歴史密度は凄い。
□ 名店、老舗、歴史的建造物ひしめく一角
□ 竹むら(昭和5年竣工)
□ 藪蕎麦(大正12年竣工)
□ ぼたん(昭和4年竣工)
□ 洋食 松栄亭(明治40年創業)
□ 「うなっ子」の堀 (GRDIII)
□ 「フカゼン」 1738年創業 掛軸と額縁の製造販売(DP2)
久しぶりに川越の蔵づくりエリアを散策。明治時代の豪壮な蔵造り商家が並んで、それはそれはミゴト。
元同僚がムンバイ出張とかで行けなくなったチケットをいただき、Boyz II Menのコンサートへ。あまりの声の力に圧倒されて、不覚にも涙が零れ落ちた。高校生のときに母親に無理やり付き合わされたにもかかわらず感涙してしまった美空ひばりショー以来だ。
ヒッチコックの「鳥」という映画を知っているだろうか。女の子が一羽のカモメに頭をつつかれるところから始まったかと思えば、次から次へと大群の鳥が人間に襲いかかるという、それはそれは恐ろしい映画だ。小学生のころ3回ぐらい再映をみていたし、親も「鳥は人間の目を狙うからね」なんて脅すものだから、田舎でカラスの大群が電線に止まっている下をくぐるときは、五木ひろしのように目に力をこめて細め、チビリそうになりながら駆け抜けたものだ。
昨晩夜中、カミさんが急に「大きな蛾みたいなものがパタパタ飛んでいる!」といって寝室の常夜灯を点けた。生来、昆虫類がかなり苦手な自分は、這い蹲って寝室から抜け出そうとしたところ、カミさんにぴしゃりと扉を閉められ閉じ込められた。恐るおそる、天井を見上げると、オレンジ色に鈍く灯った明かりの下を大きな翼を広げて壁にぶつかることなく機敏に飛び回る影。こりゃ蛾なんかじゃないぞ。きっとコウモリってやつだぞ。どこからどのタイミングで家の中に進入してきたかは謎だが、それはどうみてもコウモリなのだ。カミさんは「なんとかしなさい!」となぜか命令口調。コウモリは哺乳類なんだけれど、そんなことは置いておいて、これはもうヒッチコックの「鳥」だ。カミさんに何か捕獲できそうなものを見つけてくるようにお願いしたところ、持ってきたのはスーパーのレジ袋だ。飛び疲れてマントにくるまって壁につかまっているところを、レジ袋を両手で広げて内股で近づき、意を決して押さえた。心拍数は170ぐらいに達していたんじゃないだろうか。全身汗まみれ。レジ袋の中でごそごそ動き回るコウモリ君を外で解放してあげた。いずれ、黒いマントを着てコウモリ傘を持った美人が恩返しに現れるかもしれない。ほんとうに怖かった。アドレナリン出まくって、しばらく眠りにつくことができなかった。しかし本当に怖くなったのはカミさんの言葉で、「そういえば三日ぐらい前から夜中にパタパタ音がしていた」だ。
都会のコウモリについて調べてみたところ、わが家の珍客は「アブラコウモリ」というやつで、住家性(家屋を棲家にする)、人の暮らしにとても近い存在なのだそうだ。東京都心にも多く生息し、数も増えているらしい。1.5cmの隙間があれば、家屋に侵入できるそうで、わが家へは間違って入ったというより、網戸のわずかな隙間を見つけてもぐりこんだと思われる。蚊を食べてくれるらしく、糞害以外は益獣だというんだけれど.....
銀座にこんなワンダーワールドがあったとは。「アジア最大級の骨董ショッピングモール」と唄う「アンティークモール銀座」。古伊万里から刀の鍔、セルロイドの石鹸入れ、古いライカ・・・・・。ブラブラと見て歩くだけでもかなり楽しめる。
□ 神宮前一丁目からドコモ代々木ビル方面
通勤は地下鉄明治神宮前駅で乗り換えているんだけれど、今日は一旦最深部の副都心線のホームにおりたところで気が変わり、地上に出て明治通りを北参道まで夜の散歩。
雲が低く垂れ込めると、街の絢爛な光を蓄えて新宿の夜空に鈍い灯りが点る。
□ 肩越しの客席 (DP2)
同僚からいただいたチケットで初歌舞伎。お弁当を買って、イヤホンガイドをレンタルして用意万端。楽しかったー。こんなにおもしろいものなら、もっと早くに来てみてもよかった。舞台美術、仕掛け、衣装、踊り、どれもこれも目を引くものばかりで、実によくできたエンターテインメントだ。
□ 建長寺法堂 雲龍図 (DP2)
池袋から湘南新宿線直通1時間で鎌倉駅に到着。そこからプラプラ、小町通りを抜けて建長寺に寄り、北鎌倉まで散歩。駅の案内所で1時間もかからないコースと聞いていたものの、それは寄り道しない場合の話。広大な建長寺の境内を奥まで進み、勝上嶽の中腹、半僧坊まで登ると、もうフラフラに。あまりの陽射しの強さにおでこと鼻の頭も日焼け。
□ (DP2)
□ (DP2)
□ 著莪 (シャガ) (DP2)
□ 銀座奥野ビル ロビー (SIGMA DP2:クリック拡大)
「SIGMA DP2」を持って銀座-月島-佃島と散策。スタートは昭和7年竣工の銀座奥野ビルから。全てRAWで記録保存して、あとから専用ソフトで現像。期待した以上に暗部からハイライトまでしっかりとらえていてくれるので、明暗を飛ばしたり潰したりすることなく、自分の目で見たときのような感覚に定着することができる。また弱い光の中でデリケートな色をとらえる力もしっかりしているような気がする。彩度の低い記録画像から現場の色が浮かび上がってくるような感覚を覚える現像作業がとても楽しい。
□以下、全て 「SIGMA DP2」
□ うかつにヒマラヤ杉を植えられない(浅草橋4丁目)
ヒマラヤ杉というのは成長が早く、とてつもなく大きな木になるらしく、うかつに家のささやかな庭に苗木を植えようものなら、たいへんなことになる。浅草橋から秋葉原へ向かう途中に忽然と現れたヒマラヤ杉も圧巻。台東区の保護樹木に指定されていた。谷中のランドマークのひとつ、みかどパンのヒマラヤ杉も、戦前は店の前に置かれた鉢植えだったというのだから驚きだ。
□ 浅草橋駅高架下
□ 古い家の匂い
柳橋界隈でもひときわ異彩を放つ「Lucite Gallery(ルーサイトギャラリー)」。元浅草の芸者さんで小唄歌手、故市丸さんが柳橋に移り住んだ建物を改装したギャラリーだそうだ。二階はカフェになっている。 門をくぐった瞬間から古い建物の匂いと陰に包まれ、歪んだ廊下に平衡感覚を狂わされているうちに一気にタイムスリップする。ここでは、よほどのインパクトある作品をもってこないと、この時空間の引力に負けてしまうかもしれない。
□ この家の元主か?
家庭訪問ついでに柳橋界隈を散歩。ビルしかないんじゃないかと思い込んでいたエリアも、ずいぶんと風情のある景色だ。神田川の出口でアーチを飾る「柳橋」という小さな橋。隅田川に繰り出す屋形船基地のゲートでもあるかのような仕事ぶりだ。
今年の桜はサービス精神に富んでいる。不景気を心配してくれいているのかもしれない。早く開花宣言が出た一方で、4月4日でまだ五分咲き程度。枝にはまだまだたくさんの蕾を蓄えていた。昨年より一週間ぐらい長持ちかな。
□ チキンカレーとキーマカレー
4-5年前に仕事先での長い会議のあと、腰がいたくなって歩けなくなってしまったことがあった。そのままタクシーに乗って、いろいろ考えた末に家の近くの鍼灸院にたどりつき、針治療を受けてみた。元来、針刺すぐらいで、身体の痛みがとれるなんてことを信じていなかったものだから、治療を受けているうちから痛みがとれて、足が楽に動くようになったときには驚いた。「先生、ありがとうございます!」何度もお礼を言ったような気がする。先生の手を握っていたかもしれない。前置きが長く、本題が極めて短いのだけれど、その鍼灸院が、ある日インド料理店に変わってしまっていた。狭いお店にもかかわらず、厨房にインド人が4人もいて、オーナーと思しき日本人がレジに張り付いている。休みの日にそのお店でカレーランチ。焼きたてのナンはおいしいけれど、もうここじゃ腰は治らないなあとひとりごちる。
□ タンドリーチキン
ずいぶんと暖かい週末だった。2月に夏日ってのもすごいもんだ。それでも人の頭ってのは簡単に切り替わらないもので、こんなに暑いのにダウンジャケットやマフラーぐるぐる巻きの人が多いのもおかしい。その陽気に誘われて、毎日地下鉄で通り過ぎている雑司が谷を散歩。
□ 成長と対策 (雑司が谷霊園)
□ 木菟(みみずく)ラーメン
□ クリスタルパーツ8226ピースのバカラのシャンデリア
「まんぷく」のあとにウエスティンホテル1Fの「THE TERRACE」へ。途中、男三人でバカラのシャンデリアをうっとりと眺める。
□ THE TERRACE (THE WESTIN TOKYO)